ヨハン・クライフ

Johan Cruijff 1947~2016
選手実績 / ★★★
オランダ人監督

名選手、名監督ならず~この言葉が一番当てはまらないのがクライフだ。選手としてはバロンドールを3回受賞したサッカーの歴史の中でも屈指の名選手。そして監督としてもバルセロナで結果を残した。トータルフットボールの生みの親、リナス・ミケルスの教えを受けたクライフは、バルセロナで「常に攻撃し続けるサッカー」を披露し、その理論を実際に表現してみせた。バルセロナはクライフ監督下の8年間でリーグ優勝4回、チャンピオンズカップ優勝、準優勝各1回という結果を残し「ドリームチーム」と称された。さらにその魅力的なサッカーはリーガエスパニョーラ全体に拡がり、同リーグを攻撃的でスペクタクルなリーグに変えた。またアヤックス時代はファンバステン、ロイ、ベルカンプ、ビチュ、バルセロナ時代にもグァルディオラ、セルジ、ガルシア兄弟、セラデス、デラぺニャといった若手を一流選手に育てあげ、育成者としても実績を残した。今なお欧州のサッカー選手、関係者から尊敬を集めるカリスマである。2016年3月25日、肺がんのため死去。享年68歳。

選手歴

1964年、16歳の時にアヤックスとプロ契約を結びプロサッカー選手に。中心選手として1965/66シーズンから1972/73シーズンまでチームを6度のリーグ優勝に導く。しかしアヤックスの会長はクライフの知らないところで、クライフのレアル移籍をすすめた。これに怒ったクライフはレアルの宿敵バルセロナに移籍。1973/74シーズンよりバルセロナに移籍。13年間優勝から遠ざかっていたチームにリーグ優勝をもたらす。その後はアヤックス時代のような輝きを発揮できず、1977/78シーズンをもって引退。しかし1979/80シーズンより北米サッカーリーグのロサンゼルスアズテックスで現役復帰し、ワシントンディプロマッツ、スペイン2部のレバンテ、アヤックス、フェイエノールトを渡り歩き、1984年に2度目の引退。オランダ代表ではキャプテンとして1974年の西ドイツワールドカップ準優勝、2年後のユーロ3位に貢献した。

監督歴

引退から1年後の1985年にアヤックスの監督に就任。就任時は公式な指導者ライセンスを取得していないため「テクニカルディレクター」という肩書きだった。1970年代に展開した攻撃的スタイルの復活を掲げ、ファン・バステンやライカールトらを軸に、ベルカンプやヴィンターといった10代の選手を積極的に起用。リーグ優勝はならなかったが、3年連続で2位という好成績を収めた。1988年、ハルムセン会長との確執もありクラブを退団。

1988/89シーズンよりバルセロナの監督に就任。前年度リーグ6位のチームを2位に引き上げる。翌1989/90シーズンもレアルの後塵を拝し2位。しかし1990/91シーズンは、途中、心筋梗塞により倒れ手術を受けるというアクシデントもあったが、2節で首位に立つとそのままリーグ優勝を果たす。1991/92シーズン、リーグ戦ではレアルマドリードとの優勝争いに競り勝ち2連覇。チャンピオンズカップでも優勝し、クラブに初のチャンピオンズカップをもたらした。1992/93シーズン、1993/94シーズンもリーグ優勝し4連覇を達成。しかし1994/95シーズン4位、1995/96シーズン3位と成績が低迷すると、バルセロナのヌニェス会長との確執が原因で監督を解任される。バルセロナ退団後は指導者に復帰することなく、社会貢献活動等を行った。

1985/86 アヤックス(オランダ)
リーグ2位 CL1回戦
1986/87 アヤックス(オランダ)
リーグ2位
1987/88 アヤックス(オランダ)
リーグ2位
1988/89 バルセロナ(スペイン)
リーグ2位
1989/90 バルセロナ(スペイン)
リーグ3位
1990//91 バルセロナ(スペイン)
リーグ優勝
1991/92 バルセロナ(スペイン)
リーグ優勝 CL優勝
1992/93 バルセロナ(スペイン)
リーグ優勝
1993/94 バルセロナ(スペイン)
リーグ優勝 CL準優勝
1994/95 バルセロナ(スペイン)
リーグ4位 CLベスト8
1995/96 バルセロナ(スペイン)
リーグ3位

クライフ語録

私は1974年のワールドカップ決勝を忘れることはないだろう。1-2で敗れた後、私は茫然自失となっていた。しかし数年後にファンの記憶に残っているのは試合に勝利した方ではなく敗れた我々の方であることを知った。それから数十年を経た今日においても世界中のサッカーファンが、あの時の我々のプレーを賞賛してくれることを誇りに思っている。
サッカーでは100mより30mから40mを早く走ることの方が重要だ。だがもっと重要なのは「いつ走るか」だ。
人生で避けられないことが3つある。死と納税とバルサの優勝だ。
1988年のバルセロナ監督就任時に。
アヤックスはサグラダ・ファミリアのようなものだ。どちらも一日でできあがったわけではない。
ダメな奴らが走るんだ。相手をもっと走らせろ!
W杯の恥さらし国家。韓国は史上最低の開催国として歴史に名を刻むことだろう。
ワールドカップ日韓大会、決勝トーナメントの韓国vsスペイン戦、韓国vsイタリア戦で審判が明らかに韓国寄りのジャッジをしていたことに対して。
私はピッチの周りに陸上トラックがあるようなスタジアムでは指揮したくない。
ミランの監督に誘われた時にマスコミに言った言葉。

クライフについて

俺にボールの蹴り方を教えられるのはヨハン・クライフだけだ。
by ストイチコフ
気性が荒く扱いづらい選手だったストイチコフも、クライフには従順だった。
バルサで一番上手いのは(監督の)クライフだ。
by ロマーリオ。

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