エレニオ・エレーラ

Helenio Herrera Gavilán 1910~1997
選手実績 /

インテルを率いてチャンピオンズカップ優勝2回、準優勝1回、ベスト4 1回という素晴らしい成績で欧州サッカー会を席巻し「魔術師」と呼ばれた。アルゼンチン出身だが両親はスペイン人で、彼が4歳の時にモロッコのカサブランカに移住してフランスに帰化する。戦術家で規律に厳しいが、モチベーターとしても秀でていたらしい。「守備を組織するだけなら誰でもできる」と言い放ち、「カテナチオ」と呼ばれた堅守からの鋭いカウンターアタックで名を馳せた。しかし単に守備的なだけでなく、SBのオーバーラップの多用し、FWに守備を求めたり、FWを囮にして周囲の選手にスペースを生み出すなど、現在に繋がる戦術のエッセンスを生み出した。サッカーの戦術の歴史を変えた「天才監督」のひとりといえる。

選手歴

現役時代は主にフランスでプレー(ポジションは不明)。

監督歴

1945年、古巣スタッドフランスで指揮を執った後、1949年にレアルバリャドリードの監督となり、アトレティコ・マドリード、CDマラガ、デポルティーボ・ラ・コルーニャ、セビージャFC、CFベレネンセスで監督を務め、特にアトレティコ・マドリードではリーグを連覇した。そして1958年にFCバルセロナの監督に就任し、全盛期にあったレアル・マドリードを抑えてまたもリーグ連覇を達成した。にもかかわらずクラブから解雇を言い渡されたエレーラは、1960年にバルセロナのスター選手であり同年にバロンドールを獲得したルイス・スアレスと共にインテル・ミラノへと移った。

インテルでは、カテナチオと呼ばれる守備に秀でた戦術を採り、スクデット3回、チャンピオンズカップ、インターコンチネンタルカップを2連覇し「グランデ・インテル」と呼ばれた。

1945/46 スタッドフランス(フランス)
1946/47 スタッドフランス(フランス)
1947/48 スタッドフランス(フランス)
1948/49 レアルバリャドリード(スペイン)
リーグ12位
1949/50 アトレティコマドリード(スペイン)
リーグ優勝
1950/51 アトレティコマドリード(スペイン)
リーグ優勝
1951/52 アトレティコマドリード(スペイン)
1952/53 マラガ(スペイン)
デポルティーボ(スペイン)
1953/54 セビージャ(スペイン)
1954/55 セビージャ(スペイン)
1955/56 セビージャ(スペイン)
1956/57 ベレネンセス(ポルトガル)
1957/58 ベレネンセス(ポルトガル)
1958/59 バルセロナ(スペイン)
リーグ優勝
1959/60 バルセロナ(スペイン)
リーグ優勝 CCベスト4
1960/61 インテル(イタリア)
リーグ3位
1961/62 インテル(イタリア)
リーグ2位
1962/63 インテル(イタリア)
リーグ優勝
1963/64 インテル(イタリア)
リーグ2位 CC優勝
1964/65 インテル(イタリア)
リーグ2位 CC優勝
1965/66 インテル(イタリア)
リーグ優勝 CCベスト4
1966/67 インテル(イタリア)
リーグ2位 CC準優勝
1967/68 インテル(イタリア)
リーグ5位
1968/69 ローマ(イタリア)
1969/70 ローマ(イタリア)
1970/71
1971/72
1972/73
1973/74 インテル(イタリア)
1974/75
1975/76
1976/77
1977/78
1978/79 リミニ(イタリア)
1979/80
1980/81 バルセロナ(スペイン
リーグ5位
1982/83

エレーラ語録

会場入りするバスを降りる前から我々の勝利は決まっていた。
エレーラは常々「コンディション調整とメンタル面での準備が最も重要だ」と主張していた。
選手たちには、攻め上がる際はできるだけ速く、パスは3本以内でボックス内に入るよう求めている。攻めているときにボールを失っても、問題ではない。横パスを送ったときにボールを失えば、失点という代償を払うことになる。
何かを試そうとして怖くてできないのなら、考えてみるといい。自分がやらなければ、どこかの誰かが代わりにやるだけだと。

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