西野 朗

Akira Nishino 1955~

オリンピックでブラジルを破る「マイアミの奇跡」で名を上げ、10年に渡るガンバ大阪監督時代には弱小ガンバをリーグ屈指の強豪に仕上げた。グランパスでは結果を出せなかったが、ガンバもグランパスも西野が退任してすぐに降格しているのを見ると、やはり彼の力は大きかったと言える。Jリーグ監督通算勝利数270勝は歴代1位。2016年、日本サッカー協会の技術委員長に就任。

選手歴

早稲田大学教育学部に入学しア式蹴球部に所属。ポジションは攻撃的MF。在学中に日本代表に選出される(それ以降は選出されていない)。1978年に日立製作所へ加入。1985年に日本サッカーリーグタイ記録の8試合連続得点をあげベストイレブンに選出される。晩年にはスイーパーを務めることもあった。1990年に現役引退。

監督歴

1991年からU-20日本代表監督を務め、1994年にU-23日本代表監督に就任。28年ぶりとなるオリンピック出場を果たす。1998年に柏レイソルの監督に就任。1999年にはナビスコカップ優勝、2000年の2ndステージは鹿島アントラーズと最後まで優勝争いを繰り広げ、2位というクラブ史上最高の成績を残し(年間獲得勝ち点は1位)、自身初となるJリーグ最優秀監督に選ばれた。しかし翌2001年の1stステージは6位に終わり、1stステージ終了後に解任された。

2002年、ガンバ大阪の監督に就任。タイトルと無縁だったクラブを上位に押し上げ、就任4年目の2005年にG大阪と自身にとっても初となるJ1リーグ優勝を達成。2006年も終盤まで浦和と優勝争いを展開するも最終節での直接対決で敗れ連覇を逃す。2007年にはナビスコカップ優勝。この年、Jリーグの監督として史上初となるJ1通算150勝を達成する。2008年には日本人指揮官として初めてAFCチャンピオンズリーグに優勝。天皇杯も優勝し、Jリーグクラブの監督在任最長期間記録を更新した。2009年にも天皇杯を制した。しかし2010年、2011年は無冠に終わり解任される。

2012年、ヴィッセル神戸の監督に就任するも成績不振により解任。2014年シーズンから名古屋グランパスの監督に就任するも、2シーズン指揮を執ったが好成績を残せず契約満了のため退任。

1994/95 U-23日本代表
1995/96 U-23日本代表
1997
1998 柏レイソル
リーグ8位
1999 柏レイソル
リーグ3位
2000 柏レイソル
リーグ3位
2001 柏レイソル
途中解任
2002 ガンバ大阪
リーグ3位
2003 ガンバ大阪
リーグ10位
2004 ガンバ大阪
リーグ3位
2005 ガンバ大阪
リーグ優勝
2006 ガンバ大阪
リーグ3位
2007 ガンバ大阪
リーグ3位
2008 ガンバ大阪
リーグ8位 ACL優勝
2009 ガンバ大阪
リーグ3位 ACLベスト16
2010 ガンバ大阪
リーグ2位 ACLベスト16
2011 ガンバ大阪
リーグ3位 ACLベスト16
2012 ヴィッセル神戸
途中解任
2013
2014 名古屋グランパス
9位
2015 名古屋グランパス
10位
2016

西野語録

クラブワールドカップ3位だと思いますけども(苦笑)。
2008年のクラブワールドカップ3位決定戦後インタビューで、アナウンサーが「世界3位」を連発したことに対して。

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