岡田 武史

Takeshi Okada 1956~

一度目は加茂周が更迭されて、二度目はオシムが病気に倒れて、2度もピンチヒッターとして日本代表を率いてワールドカップに出場。2度目となる南アフリカ大会では国外開催大会で初めての決勝トーナメント進出を果たす。クラブチームでもコンサドーレ札幌をJ1に昇格させ、横浜Fマリノスを3度ステージ優勝に導くなど実績を残した。2016年、日本サッカー協会副会長に就任。

最強チーム布陣
日本代表 2010年(Wカップ)
岡田ジャパンフォーメーション

選手歴

現役時代は古河電気工業サッカー部(ジェフユナイテッド千葉の前身)に入団し、頭脳派のディフェンダーとして日本リーグで活躍。日本代表としても国際Aマッチに24試合出場している。

監督歴

現役引退後、ジェフ市原でコーチを務めていたが、1995年、サッカー日本代表コーチに抜擢。1997年10月、フランスWカップ最終予選にて代表チームがアジア予選で敗退濃厚の窮地に陥り、加茂監督が更迭。岡田は急場でコーチから臨時監督に。ウズベキスタン戦をドローで乗り切り監督へと昇格。岡田の就任以降、日本代表は息を吹き返し、初のワールドカップ出場を果たす。しかし本戦では3戦全敗でグループリーグ敗退。代表監督を退任した。

1999年、J2降格となったコンサドーレ札幌の監督に就任。就任1年目はJ1昇格争いには加われず5位に終わったが、2年目の2000年には2位の浦和レッズに勝点12差をつけてJ2優勝。2年で1部復帰を果たす。チームも自らも初のJ1参戦となった2001年は年間11位の成績でJ1残留に成功。ここを区切りに札幌の監督を辞任する。

2003年、横浜Fマリノス監督に就任。充実した戦力を率い就任1年目にして完全優勝。2004年も1stステージを制し、Jリーグ史上初の3ステージ連覇を成し遂げる。浦和レッズと争ったチャンピオンシップではPK戦を制し2年連続の年間王者に輝く。2005年も優勝候補に挙げられていたが、アジアチャンピオンズリーグ参戦による過密日程や代表戦における主力の離脱により順位は低迷。結局、9位という期待外れの成績に終わる。復活を期して臨んだ2006年は開幕4連勝を飾ったものの、その後急激にチームコンディションが悪化。18節終了時点で自力優勝が消滅し、19節の大宮戦終了後に辞任。

2007年12月、急性脳梗塞で緊急入院したオシムの後任として日本代表監督に再就任。Wカップ南アフリカ大会アジア最終予選グループAを2位で通過し、日本代表を4大会連続4度目の本大会出場に導く。その後、2010年の東アジアサッカー選手権では4チーム中3位、同年4月のセルビア代表戦、5月の韓国代表戦、イングランド代表戦にも敗れ、サポーターやマスコミから批判が殺到する。しかし本戦ではカメルーン代表に1-0で勝利。第2戦のオランダ代表には負けたものの、第3戦のデンマーク代表に3-1で勝利を収め、国外開催大会で初めての決勝トーナメント進出を果たした。この快進撃に岡田の評価は180度変わり「名将」と称賛されるようになる。

2012年、中国スーパーリーグの杭州緑城足球倶楽部にて監督に復帰するも結果を残せず、2013年11月、契約を1年残し退任。

1997/98 日本代表
Wカップグループリーグ
1999 コンサドーレ札幌(日本2部)
リーグ5位
2000 コンサドーレ札幌(日本2部)
リーグ優勝
2001 コンサドーレ札幌(日本)
リーグ11位
2002
2003 横浜Fマリノス(日本)
リーグ優勝
2004 横浜Fマリノス(日本)
リーグ優勝
2005 横浜Fマリノス(日本)
リーグ9位
2006 横浜Fマリノス(日本)
途中退団
2007
2008/09 日本代表
2009/10 日本代表
Wカップベスト16
2011
2012 杭州緑城足球倶楽部(中国)
リーグ11位
2013 杭州緑城足球倶楽部(中国)
リーグ12位
2014

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