
ペトロヴィッチとの後任監督として就任して1年目、前年度7位のチームをいきなり初優勝に導き、翌年もJ1連覇。3連覇を狙った翌2014年こそ9位に終わったが、2015年は11年ぶりに導入された2ステージ制で再び年間優勝。資金力の少ないサンフレッチェを4年間で3度のリーグ優勝に導き、監督としての評価を確固たるものに。将来の日本代表監督としての呼び声も高い。しかし2017年7月、2勝4分け11敗と低迷した責任を取って退任した。
選手歴
1987年、日本サッカーリーグのマツダ(現サンフレッチェ広島)にアマとして入団し、1991年にプロ契約を結ぶ。1992年、オフトにより日本代表に抜擢され、以降レギュラーとして活躍。W杯アメリカ大会アジア予選ではドーハの悲劇を経験した。クラブチームでは、1993年にJリーグ開幕とともにサンフレッチェ広島の選手としてプレー。ポジションは守備的MF。
2012 |
サンフレッチェ広島(日本) リーグ優勝 |
2013 |
サンフレッチェ広島(日本) リーグ優勝 ACLグループリーグ |
2014 |
サンフレッチェ広島(日本) リーグ8位 ACLベスト16 |
2015 |
サンフレッチェ広島(日本) リーグ優勝 |
2016 |
サンフレッチェ広島(日本) リーグ6位 |
2017 |
サンフレッチェ広島(日本) 途中退任 |
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