ファビオ・カペッロ

Fabio Capello 1946~
イタリア国旗

写真左はヨハン・クライフ

1991年にサッキの後を受けミラン監督に就任すると、5年間でリーグ優勝4回、チャンピオンズリーグ優勝1回、準優勝2回という成績を残し、彼が率いたチームは「グランテ・ミラン」と呼ばれた。その後はレアルマドリード、ローマ、ユヴェントスでもリーグ優勝を果たし、優勝請負人としての実績は十分。極端な結果至上主義者で、カウンターからロングボールを蹴り込むサッカーは「つまらない」と批判を受けることも多い。それが顕著に現れたのがレアルマドリードの監督時代だ。1996/97シーズン、2006/07シーズンの2度、レアルの監督として就任1年目でリーグ優勝を果たすが、マスコミの批判を浴びて2度とも解任されている。選手起用も完全な実力主義で、外された選手から恨まれることも多かったが、意外に面倒見が良く、心酔する選手もいた。

選手歴

1964年にSPAL1907でキャリアをスタート。1967年にASローマへ移籍すると翌々年のコパ・イタリア制覇に貢献。その後、ユヴェントスとACミランで4度のスクデット獲得に貢献。イタリア代表としても1974ワールドカップ西ドイツ大会を始め32試合に出場し8得点。

監督歴

引退後はイタリアのテレビ局でサッカー解説者を務めていたが、1986/1987シーズン途中にACミランの暫定監督として5試合の指揮をとる。それから4年後の1991年、サッキの後任として再びACミランの監督に就任。数多くのスーパースターを抱えた当時のミランをまとめ上げ、セリエA では1991/92シーズンの無敗優勝を含め5年間で4度のスクデットを獲得。チャンピオンズリーグでは1992/93シーズンから3季連続で決勝に進出し、特に1993/94シーズンにはヨハン・クライフ率いるバルセロナを決勝で4-0という大差で下し優勝するなど、監督としての地位と評価を確立した。その後もローマ、レアルマドリードの監督として両チームをリーグ優勝に導く。その後はイングランド代表、ロシア代表監督を歴任している。

1991/92 ミラン(イタリア)
リーグ優勝
1992/93 ミラン(イタリア)
リーグ優勝 CL準優勝
1993/94 ミラン(イタリア)
リーグ優勝 CL優勝
1994/95 ミラン(イタリア)
リーグ4位 CL準優勝
1995/96 ミラン(イタリア)
リーグ優勝
1996/97 レアルマドリード(スペイン)
リーグ優勝
1997/98 ミラン(イタリア)
リーグ9位
1998/99
1999/00 ローマ(イタリア)
リーグ6位
2000/01 ローマ(イタリア)
リーグ優勝
2001/02 ローマ(イタリア)
リーグ2位
2002/03 ASローマ(イタリア)
リーグ8位 CLベスト16
2003/04 ローマ(イタリア)
リーグ2位
2004/05 ユヴェントス(イタリア)
※リーグ優勝 CLベスト8
2005/06 ユヴェントス(イタリア)
※リーグ優勝 CLベスト8
2006/07 レアルマドリード(スペイン)
リーグ優勝 CLベスト16
2007/08
2008/09 イングランド代表
2009/10 イングランド代表
Wカップベスト32
2010/11 イングランド代表
2011/12 イングランド代表
2012/13 ロシア代表
2013/14 ロシア代表
Wカップグループリーグ敗退
2014/15 ロシア代表
2015/16

※カルチョポリにより優勝剥奪

カペッロ語録

もう一度レアルから監督就任の話が来ても行くことはないだろう
レアルマドリードを2度、就任初年度に優勝させたにもかかわらず、2度とも解任されたことについて。
監督の仕事はワイン作りに似ている。その時、手に入るブドウから最上のワインを作らなければならない。
ミラン監督時、グーリット、ライカールト、ファンバステンのオランダトリオが抜けて。
私の指示に従わない者は、2度とフィールドの芝を見ることはない。それだけのことだ。
モダンフットボールにファンタジスタの居場所はない。
勝つことが私の興味の全て。それ以外は哲学であり、ポエムであり、ムダ話だ。
バカなことを聞くな! 私は日本のために、中田のために監督をやっているのではない。私はローマをスクデットに導くためここにいるのだ。
カペッロがローマを率いていた時、日本のスポーツ紙の記者が「中田選手をフル出場させないのはなぜですか。わずか10分程度のプレーでは日本に満足な記事を送れません」と質問したことに対して。

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