マルセロ・ビエルサ

Marcelo Bielsa 1955~

アタッキングサッカーと徹底的なマンマークを武器にアルゼンチン代表や、チリ代表、アスレティックビルバオなどを率いた名将。趣味はサッカーの試合のビデオ収集で「エル・ロコ」(変人)のあだ名がつくほど戦術マニア。いかに機能的にボールを回すかだけを追求する姿は、まるで科学者のようだ。名門一家の生まれで、父は弁護士、母は教師、実兄ラファエルはアルゼンチンの外務大臣、実姉のマリアもサンタフェ州の副知事を務めた。

選手歴

1970年代後半、DFとしてオールドボーイズでプレーするも25歳で現役引退。すぐにコーチに転身し、オールドボーイズの下部組織の指導者になった。

監督歴

1990年、オールドボーイズのトップチームの監督に就任すると、初年度にプリメーラ・ディビシオンを制覇。1992年にはコパ・リベルタドーレスで準優勝。その後、メキシコに拠点を移し、アトラス、クラブアメリカの指揮を執った。帰国後はベレスサルスフィエルドを率いてクラウスーラ1997を制覇した。

1998年、エスパニョールの監督に就任するもほどなくして辞任し、パサレラの後任としてアルゼンチン代表監督に就任。アヤックスの3-4-3システムを発展させたような3-3-1-3システムを採用し、アジャラ、ベロン、クレスポらが円熟期に入ったチームは、2002 ワールドカップ南米予選で強さを見せた。2002年の本大会では優勝候補の一角に挙げられたが、グループリーグ敗退。辞任するものと思われたが留任し、2004年にはU-23アルゼンチン代表を率いてアテネオリンピックで優勝、その直後に監督を辞任した。

2007年8月、チリ代表の監督に就任。代表の合宿所の宿泊施設に住み始めてメディアを驚かせた。2010Wカップ南米予選ではブラジルに次ぐ2位という好成績で、チリを3大会ぶり8回目のW杯出場に導いた。南アフリカW杯本大会では、62年大会以降白星のなかったチリ代表を16強に導き、決勝トーナメント1回戦でもブラジル相手に堂々の戦いを披露した。W杯後もチリ代表監督を務めていたが、自身を招聘したチリサッカー協会会長のニコルスが会長選挙で再選されなかったため、2011年1月に退任。

その後、アスレチックビルバオ監督を2シーズン、マルセイユの監督を1シーズン務めた。2016年7月にラツィオの監督に就任するも、2日後に退任する。

1990/91 ニューウェルズ(アルゼンチン)
リーグ優勝
1991/92 ニューウェルズ(アルゼンチン)
1992/93 アトラス(メキシコ)
1993/94 アトラス(メキシコ)
1994/95
1995/96 クラブアメリカ(メキシコ)
1996/97
1997/98 ベレスサルスフィエルド(アルゼンチン)
前期リーグ優勝
1998/99 エスパニョール(スペイン)
途中退任
アルゼンチン代表
1999/00 アルゼンチン代表
2000/01 アルゼンチン代表
2001/02 アルゼンチン代表
Wカップグループリーグ
2002/03 アルゼンチン代表
2003/04 アルゼンチン代表
オリンピック優勝(U23)
2004/05
2005/06
2006/07
2007/08 チリ代表
2008/09 チリ代表
2009/10 チリ代表
Wカップベスト16
2010/11 チリ代表
2011/12 アスレチックビルバオ(スペイン)
リーグ10位
2012/13 アスレチックビルバオ(スペイン)
リーグ12位
2013/14
2014/15 マルセイユ(フランス)
リーグ4位
2015/16

ビエルサ語録

斬新なアイデアを思いつく者は、そのアイデアが成功を収めるまで「ロコ」である。

W杯予選、攻撃的な3-4-3の布陣でブラジルに0-3と完敗を喫し、国内のメディアから疑問の声が上がった時の言葉。その約1カ月後、同じく攻撃的な布陣でアルゼンチンに勝利し、チリ国民から認められる。

審判に文句を言う暇があったら、プレイを続けましょう。足を止めないこと。ボールを支配し、ゲームを支配するのです。

ビエルサについて

チリは1メートルの隙も与えてくれなかった。

by デルボスケ(スペイン代表監督)。Wカップ南アフリカ大会、デルボスケ率いるスペインはビエルサ率いるチリに2-1で勝利。しかしチリは前半に退場者を出したにもかかわらず、内容的には互角だった。

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