エクトル・クーペル

Héctor Cúper 1955~
選手実績 / ★★

1999年から率いたバレンシアで堅い守備を武器としたカウンターサッカーを作り上げ、チャンピオンズリーグ2年連続決勝進出という結果を残した。2001年にはイタリアのインテルの監督に就任し、2002/03シーズンにはセリエA準優勝。シルバーコレクターというあだ名がつけられていたが、欧州屈指の指導者と高く評価された。近年は欧州のビッグクラブからは離れている。2015/16シーズンよりエジプト代表監督に就任。2017年のアフリカネイションズカップでは準優勝を果たした。

選手歴

アルゼンチンリーグのフェロカリル・オエステ、インデペンディエンテ・リバダビア、ウラカンの3つのチームでプレイ。アルゼンチン代表としても5試合に出場した。

監督歴

現役引退から1年半後、古巣ウラカンの監督に就任して指導者としての経歴をスタート。1995年にはラヌース監督に就任。

1997年、リーガエスパニョーラのマヨルカ監督に就任。就任初年度は1部に昇格したばかりのマヨルカをリーグ5位に押し上げ、コパデルレイでは決勝に導いた。1998/99シーズンにはUEFAカップウィナーズカップで準優勝。リーグ戦ではクラブ史上最高の3位に躍進した。1999/00シーズンよりバレンシア監督に就任。堅守を武器に、2シーズン連続でチャンピオンズリーグ準優勝を果たす。

2001年には低迷していたセリエAのインテル監督に就任し、2001/02シーズンのリーグ戦は3位、2002/03シーズンのリーグ戦は2位とまずまずの成績を残した。2003/04シーズンは6節終了時に8位と低迷し、解任される。2004/05シーズン途中に再びマヨルカ監督に就任した。一時は残留を絶望視されていたチームを建て直し、終盤は大久保嘉人らの活躍もあり劇的な残留に成功した。2004/05シーズンは1部残留を決め、2005年夏には多くの新加入選手を迎えたが、2005/06シーズンは再び残留争いに巻き込まれ、2006年2月に成績不振の責任を取って辞任した。

2007年夏にはレアルベティスの監督に就任したが、12月に成績不振により解任。2008年3月、 残留を目指すセリエAのパルマ監督に就任したが、10試合を戦って2勝しかできず解任された。2008年8月にはジョージア代表監督に就任したが、在任期間中に1勝も挙げることができず、2009年末の契約満了とともに退任した。2009年11月3日、ギリシャリーグのアリステッサロニキ監督に就任。リーグ戦で5位となり、クラブ史上初のUEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得した。同シーズンのギリシャカップでは準優勝に終わった。2010/11シーズンのUEFAヨーロッパリーグでは決勝トーナメントに進出した。しかしリーグ戦では中位にとどまり、2011年1月に責任を取って辞任。

その後、ラシンサンタンデール、オルドゥスポル、アルワスル監督を経て、2015年3月、エジプト代表の監督に就任した。

1993/94 ウラカン(アルゼンチン)
1994/95 ウラカン(アルゼンチン)
1995/96 ラヌース(アルゼンチン)
1996/97 ラヌース(アルゼンチン)
1997/98 マジョルカ(スペイン)
リーグ5位
1998/99 マジョルカ(スペイン)
リーグ3位
1999/00 バレンシア(スペイン)
リーグ3位 CL準優勝
2000/01 バレンシア(スペイン)
リーグ5位 CL準優勝
2001/02 インテル(イタリア)
リーグ3位
2002/03 インテル(イタリア)
リーグ2位 CLベスト4
2003/04 インテル(イタリア)
途中解任
2004/05 マジョルカ(スペイン)
リーグ17位
2005/06 マジョルカ(スペイン)
リーグ13位
2006/07 マジョルカ(スペイン)
リーグ12位
2007/08 ベティス(スペイン)
途中解任
2008/09 ジョージア代表
途中解任
2009/10 アリステッサロニキ(ギリシア)
リーグ4位
2010/11 アリステッサロニキ(ギリシア)
リーグ6位
2011/12 ラシンサンタンデール(スペイン)
途中解任
オルドゥスポル(トルコ)
2012/13 オルドゥスポル(トルコ)
2013/14 アルワスル(UAE)
2014/15
2015/16 エジプト代表
2016/17 エジプト代表
ANC準優勝

クーペル語録

私は刑務所と軍隊が好きだ。
選手を自らの戦術に当てはめ、規律を守ってプレスすることを要求するクーペルらしい言葉だ。

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