プロサッカー選手経験のない名監督ランキング

「騎手になる前に馬である必要はない」というのはサッキの名言だが、実際は選手出身の監督がほとんどだ。Jリーグにはプロサッカー選手の経験がない監督は5%しかいない。しかしセリエA、ブンデスリーガ、リーガエスパニョーラには選手経験のない監督が20%ほど存在する。「騎手の能力と馬の能力は全く別のもの。元プロ選手ではない監督が多数誕生するようになれば、Jリーグももっと名監督を輩出できる」と個人的には思う。そこで、当サイト管理人が独断で選んでみました。プロサッカー選手の経験のない監督ベスト10!

1位 ジョゼ・モウリーニョ

ポルトガル人 1963~

中学生時代、父親で元ポルトガル代表のゴールキーパーだったフェリックス・モウリーニョが監督を務めるチームで対戦相手の分析をしていた。ポルトガルのユース代表に選出されたこともあるが、故障により選手生活を断念。リスボンで体育教師になるが、指導者の道を志してスコットランドで語学を勉強。ボビー・ロブソンがスポルティングリスボンの監督に就任した際、通訳としてスタッフ入りし、以降ロブソンとともにFCポルト、バルセロナといった名門クラブで通訳を務める。その後、ベンフィカ、ウニオンレイリアの監督として結果を残し、名門ポルトの監督に就任。3年目にはチャンピオンズリーグを制して欧州屈指の監督として知られるようになる。

2位 アリゴ・サッキ

イタリア人 1946~

父親の経営する靴の製造会社会社で働きながらアマチュアチームでプレーしていたが、独学で指導者になるための勉強を続け、少年チームをコーチしながらコヴァルチャーノの監督コースを修了。ユースチームの監督を経て、イタリアリーグ3部のリミニ、フィオレンティーナで結果を残す。1985年にイタリア3部のパルマ監督に就任すると就任1年目で2部に昇格させ、コッパ・イタリアではACミランを2度も破る大金星を挙げた。この結果に驚いたミランのベルルスコーニ会長は1987年、周囲の反対を押し切ってサッキをミランの監督として招き入れ、そこからサッキのサクセスストーリーが始まった。

3位 ウド・ラテック

ドイツ人 1935~2015

アマチュア時代はフォワードとしてプレイするがプロ契約を得る事はできなかった。ミュンスター大学で教育学を学び、1950年代後半にはヴィッパーフュルトで高校教師を務めていた。その後、西ドイツサッカー協会のゼップ・ヘルベルガーに指導者としての才能を認められ西ドイツサッカー協会入り。西ドイツユース代表監督を務めながら、ヘルムート・シェーン西ドイツ代表監督のアシスタントコーチを務めた。1970年にフランツ・ベッケンバウアーの助言でバイエルン・ミュンヘンの監督に就任すると、1972年からブンデスリーガ3連覇に導く。

4位 ホセ・ペケルマン

アルゼンチン人 1949~

現役引退後、タクシー運転手など様々な職を転々とした苦労人。32歳でアルゼンチンのチャカリタのユース監督に就任し指導者の道へ。45歳の時、U-17とU-20アルゼンチン代表監督に就任。U-20アルゼンチン代表はワールドユース選手権で3度優勝、U-17は南米ユース選手権2回優勝という輝かしい成績を収め、A代表監督に昇格。リケルメ、サビオラなど「ペケルマン・チルドレン」と呼ばれる選手たちを率い、ワールドカップでベスト8に進出した。

5位 マウリツィオ・サッリ

イタリア人 1959~

銀行員として働きながらイタリアの下部リーグの監督を20年以上つとめた積んだ異色の監督。アマチュアチーム監督の時代から、対戦相手を研究し緻密な戦術をたてるというプロ顔負けの指導を行ない、率いたチームを軒並み昇格させる。セリエDのサンソビーニでアマチュア最高峰のコッパ・イタリア・セリエDを制して一躍その名を轟かせた。2005/06シーズンよりセリエBのペスカーラ監督に就任し、プロ監督としてのキャリアを開始。その後、エンポリ、ナポリを率いて結果を残す。

6位 レオナルド・ジャルディム

ポルトガル人 1974~
ベネズエラで生まれ、両親の故郷のポルトガル、マディラ島に移住。プロサッカー選手としてのキャリアはない。大学卒業後、子供や女子チームの指導を行い、ハンドボールチームの指導も経験した。2001年、マデイラ島にあるカマーシャにアシスタントコーチとして入団。2年後の2003年に27歳で同チームの監督に就任し、5シーズンの間チームを率いた。その後2009年にベイラマルの監督に就任すると1年でプリメイラ・リーガ昇格。2013/14シーズンにはスポルティングではリーグ2位と躍進させ、モナコの監督に抜擢される。

7位 クリストフ・ダウム

ドイツ人 1953~

1.FCケルンのアマチュアチームでプレイしていたが、プロ経験はない。1.FCケルンのアマチュアチームの監督、トップチームのコーチを経て1.FCケルンの監督に就任すると、下位に低迷するチームをリーグ優勝2回の強豪チームに引き上げる。その後、シュトゥットガルト、ベシタクシュ(トルコ)、レバークーゼンでも結果を残す。2000年、ドイツ代表監督に内定するも頭髪検査でコカインが検出され契約破棄。レバークーゼンの監督も辞任する。

8位 アンドレ・ビラス・ボアス

ポルトガル人 1977~

16歳の時にたまたま同じマンションに住んでいたポルトのボビー・ロブソン監督に宛てて書いた「ドミンゴス・パシエンシアの出場機会が少ないことを訴える手紙」が監督の目にとまり、感激したロブソンからスカウトされ、ポルトのスタッフに加入したという変り種。17歳の時にはUEFAのC級ライセンスを取得。2010年、クラブ史上最年少でポルトの監督に就任。初年度にリーグ戦、カップ戦、UEFAヨーロッパリーグを制する。しかしその後就任したチェルシー、トッテナムというビッグクラブでは、1シーズンで解任されるなど結果を残せていない。

9位 マノ・メネーゼス

ブラジル人 1962~

アマチュア選手としてプレーしたことはあるが、プロ選手としての経験はない。サッカー選手としてプレーする傍らで、大学で体育学を学んだ。1997年代からブラジルの小クラブで指揮を執り、2005年、ブラジルリーグ2部にのグレミオの監督に就任すると、チームを1部に昇格させる。その後、2部に落ちた名門コリンチャンスを率い1部昇格。その後はフラメンゴ、ブラジル代表、クルゼイロの監督などを歴任するが、いまひとつ結果を残せていない。

10位 グレゴリオ・マンサーノ

スペイン人 1956~

公立高校の教師として学校のクラブチームを率いたのが指導者としてのスタートという変り種。地元のさまざまなクラブを指揮した後、スペインリーグの下部チームの監督を歴任。1999/00シーズン、1部のレアルバリャドリード監督に抜擢されると、レアルマドリードに勝利するなどし7位という好成績を残す。その後、アトレティコマドリードなどスペインの1部リーグのチームの監督を歴任。2010年には日本代表監督の候補としてマスコミに取り上げられた。2014年より中国スーパーリーグの監督を歴任している。

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