イビチャ・オシム

Ivica Osim 1941~
選手実績 / ★★

ユーゴスラビア代表をワールドカップベスト4に導いた旧ユーゴの国民的英雄。弱小クラブだったオーストリアのシュトゥルムグラーツ、ジェフ市原を強豪チームに育て上げた。

フォーメーション

日本代表 2007年(アジアカップ)
オシムジャパン フォーメーション

選手歴

サラエヴォのジェリェズニチャルでプロデビュー。ポジションはFW。1964年、東京オリンピックのユーゴスラビア代表として来日し、日本との順位決定戦では2ゴールを挙げた。1968年、ユーゴスラビア代表として欧州選手権に出場しチームは準優勝。大会ベストイレブンに選出される。その後、フランスのストラスブール、スダン、ヴァランシエンヌ、再びストラスブールに在籍。1978年現役引退。選手生活12年間で85得点。

監督歴

1986年、ユーゴスラビア代表監督に就任。当時のユーゴスラビア代表はベオグラードで試合をする際にはセルビア人中心の構成に、ザグレブで試合をする時はクロアチア人中心の構成に、と試合の開催場所によってチームの構成が大きく変わるのが常だった。しかしオシムはそうした民族主義を排除した代表チームを作り上げ、1980年のワールドカップでは準決勝でマラドーナのアルゼンチンにPK戦で破れるもベスト4という輝かしい成績を収める。しかしその頃、ユーゴスラビアは崩壊に向かっていた。1992年4月、サラエボの街をセルビア軍が攻撃。オシムはユーロ予選で街を離れていたが、彼の妻と娘はサラエボに取り残される。そんな状況の中、オシム率いるユーゴスラビア代表はユーロ予選を突破。しかしサラエボを攻撃し続けるセルビアに抗議するため代表監督を辞任。

代表監督辞任後、ギリシャのパナシナイコスの指揮を取るが、オーナーと対立して1年で辞任。パナシナイコス退団時にはレアルマドリード、バイエルンミュンヘン等から就任要請があったが、すべて断りオーストリアのシュトゥルムグラーツ監督に。オーストリアリーグの中位から下位だったシュトゥルムグラーツはオシム就任以降、徐々に成績を上げ、4年目の1997/98年シーズンにはリーグ優勝を果たす。在任は9年間と長期に渡り、チャンピオンズリーグにも3度出場した。しかし2001/02シーズン終了後、盟友でもあったクラブオーナーと対立し退団。

2003年、日本のジェフ市原監督に就任。「考えて走るサッカー」でジェフを優勝争いするチームに変貌させた。2006年からは日本代表の監督に就任したが、脳梗塞のため任期途中で退任。

1986/87 ユーゴスラビア代表
1987/88 ユーゴスラビア代表
ユーロ予選敗退
1988/89 ユーゴスラビア代表
1989/90 ユーゴスラビア代表
1990/91 ユーゴスラビア代表
Wカップベスト8
パルチザンベオグラード(ユーゴスラビア)
1991/92 ユーゴスラビア代表
ユーロ予選突破
パルチザンベオグラード(ユーゴスラビア)
1992/93 パナシナイコス(ギリシャ)
リーグ2位
1993/94 シュトゥルムグラーツ(オーストリア)
リーグ7位
1994/95 シュトゥルムグラーツ(オーストリア)
リーグ2位
1995/96 シュトゥルムグラーツ(オーストリア)
リーグ2位
1996/97 シュトゥルムグラーツ(オーストリア)
リーグ3位
1997/98 シュトゥルムグラーツ(オーストリア)
リーグ優勝
1998/99 シュトゥルムグラーツ(オーストリア)
リーグ優勝 CLグループリーグ
1999/00 シュトゥルムグラーツ(オーストリア)
リーグ2位 CLグループリーグ
2000/01 シュトゥルムグラーツ(オーストリア)
リーグ4位 CLグループリーグ
2001/02 シュトゥルムグラーツ(オーストリア)
リーグ2位
2003 ジェフユナイテッド市原(日本)
リーグ3位
2004 ジェフユナイテッド市原(日本)
リーグ4位
2005 ジェフユナイテッド千葉(日本)
リーグ4位
2006 日本代表
2007 日本代表
アジアカップ4位

オシム語録

古い井戸に水が残っているのに、すぐに新しい井戸を掘るのはどうか。
日本代表監督就任前、川渕会長との会談の席での発言。「古い井戸」とはワールドカップドイツ大会に出場した選手たちを指すものと思われ、その後、彼らは「古井戸組」と呼ばれた。
ライオンに追われたウサギが逃げ出す時に、肉離れをしますか? 要は準備が足らないのです。
ジェフ千葉MF、佐藤勇人がプレー中に肉離れを起こしたときの発言。

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