アリゴ・サッキ

Arrigo Sacchi 1946~
イタリア国旗

プロサッカー選手としての経験は全くなく、靴製造会社で働いていたという異色の経歴を持つアリゴ・サッキ。まだ無名だった1987年、ミランのオーナー・ベルルスコーニの強い要請を受けてミラン監督に就任。3年間でチャンピオンズリーグに2回優勝し、ミランをヨーロッパNO.1のチームに導いた。彼の特徴は何と言ってもゾーンプレスだろう。カルチョ伝統のカテナチオを否定し「4人のDFをフラットに並べ、DFからFWまでの距離をコンパクトにしプレッシングをかけてボールを高い位置で奪う」というものだった。今でこそポピュラーな戦術だが、当時は画期的だった。現代サッカーに革命を起こした監督といえる。

選手歴

父親の経営する靴の製造会社会社で働きながらアマチュアチームでプレーしていた。その後、独学で指導者になるための勉強を続け、少年チームをコーチしながらコヴァルチャーノの監督コースを修了した。

監督歴

1982年、リミニで初の監督に就任。1985年、セリエC1のパルマの監督に。当時、地方都市のクラブチーム程度の実力でしかなかったパルマを就任1年目でいきなりセリエBに昇格させ、2年目から参加したコッパイタリアではミランを2度も破る大金星を挙げた。この結果に衝撃を受けたミランのベルルスコーニ会長は、1987年に周囲の反対を押し切ってサッキをミランの監督に抜擢する。ミランの監督に就任したサッキは「ゾーンプレス」を武器に初年度から2年連続でチャンピオンズリーグ優勝。特に1988/89シーズンには準決勝でレアルマドリードに2試合合計6-1と大勝、決勝でもステアウアブカレストに4-0で完勝し、イタリア史に残る好成績を残す。

1991年、成績不振を理由にチームを去ったサッキはイタリア代表監督に。1994年のワールドカップアメリカ大会では決勝でブラジルにPK戦で敗れ準優勝。1996年、ユーロの1次リーグでの敗退を理由に監督を退任する。その後、ミラン、アトレティコマドリード、パルマの監督に就任したが、かつてのような成績は残せなかった。

1982/83 リニミ(イタリア3部)
1983/84 フィオレンティーナ(イタリア)
2部昇格
1984/85 リニミ(イタリア3部)
1985/86 パルマ(イタリア3部)
2部昇格
1986/87 パルマ(イタリア2部)
リーグ7位
1987/88 ミラン(イタリア)
リーグ優勝
1988/89 ミラン(イタリア)
リーグ3位 CL優勝
1989/90 ミラン(イタリア)
リーグ2位 CL優勝
1990/91 ミラン(イタリア)
リーグ2位 CLベスト8
1991/92 イタリア代表
ユーロ予選敗退
1992/93 イタリア代表
1993/94 イタリア代表
ワールドカップ準優勝
1994/95 イタリア代表
1995/96 イタリア代表
ユーログループリーグ敗退
1996/97 ミラン(イタリア)
リーグ11位 CLグループリーグ敗退
1997/98
1998/99 アトレティコマドリード(スペイン)
リーグ13位
1999/00
2000/01
2001/02 パルマ(イタリア)
リーグ10位

語録

騎手になるために、馬に産まれる必要はない
サッカー選手としての経歴を持たない監督という自身の経歴について。

私のプレスサッカーは彼を封じる方法を考えあみ出したものだ。
マラドーナを評して。

11人が1人のように動かなくてはいけない

この大会では2つの可能性がある。私のハゲ頭にキスしてもらえるか、トマトをぶつけられるかだ。
1996年のユーロを前に。

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