フース・ヒディンク

Guus Hiddink 1946~

ヨーロッパのクラブチームから代表監督まで、数々のチームを率いて結果を出してきたプロ中のプロ監督。異なるポジションの選手を交代させてシステムを一変する戦術的交代を得意とする。また欧州の中では決して強豪とはいえないPSVを率いてのチャンピオンズカップ優勝、二度目のPSV就任時のチャンピオンズリーグベスト4、韓国代表でのワールドカップ4位、ユーロでのロシア代表のベスト4など、比較的戦力の劣るチームを躍進させる手腕は「ヒディンク・マジック」と呼ばれている。

選手歴

現役時代はデ・フラーフスハップ、PSV、NECナイメヘン、でプレーし、特にデ・フラーフスハップでは中盤の要としてチーム初の1部昇格に貢献、地元サポーターから最も信頼を集める選手だった。現役のプロサッカー選手をしながらも、体育教師になろうと専門学校にも通っていた。体育教師の資格をとった後、不良生徒や精神的に問題のある生徒がいる特殊学級の担任をプロサッカー選手と兼任で10年余り行っていた。

監督歴

1984年からPSVのアシスタントコーチに就任したが、1986/87シーズンの途中にチームの不振から監督が辞任し、臨時として監督に昇格。低迷していたチームをリーグ優勝に導き、正式に監督に就任することに。この年を含むリーグ3連覇と共に、1988年にはチャンピオンズカップを優勝しトレブルを達成した。

フェネルバフチェ、バレンシアの監督を務めた後、1995年に母国オランダ代表監督に就任。ユーロ1996ではベスト8、1998フランスワールドカップでは4位という好成績を収める。1998年の夏からレアル・マドリードの監督するが、結果を残せずフロント関係者との対立で1シーズンで退任。その後、1999/2000シーズン途中に不振だったレアルベティスの監督となったが、チームを残留させることが出来ず解任された。

2000年に韓国代表監督に就任。ポルトガル、イタリア、スペインといった強豪国を相手に勝利し4位を達成した。2002年からPSVの監督に復帰。韓国代表の朴智星を獲得するなどし、4年間でリーグ優勝3回、チャンピオンズリーグベスト4といった成績を残した。2002/03シーズンよりPSV監督に就任。2005年7月からはオーストラリア代表監督を兼任。大陸間プレーオフでウルグアイを破って、オーストラリアを32年ぶりにWカップ出場に導く。本大会では当時、ジーコ率いる日本代表に勝利を収め、オーストラリア史上初めてのベスト16入りを果たす。

2006/07シーズンよりロシア代表監督に就任。ユーロ予選を突破し、本大会では前評判の低さを覆してロシア代表にとって20年ぶりとなるベスト4に進出。また2008/09シーズンの途中、当時不振に喘いでいたチェルシーの監督にシーズン終了までの期間限定で就任(ロシア代表との兼務)。チームを立て直しFAカップ優勝等をもたらしている。2010ワールドカップ欧州予選ではプレーオフに回りスロベニアと対戦。アウェイゴールの差で本大会出場を逃した。

2010/11シーズンよりトルコ代表監督に就任。しかし2011年11月にユーロ予選プレーオフで敗退し退任。2012/13シーズン途中、ロシアサッカーリーグのアンジマハチカラ監督に就任。しかしアンジマハチカラが財政支出を削減するのにともない2013年7月、突如退任。2014/15シーズン、オランダ代表監督に16年ぶりに復帰。だがユーロ予選で思うように結果を出せず、チーム作りも進まなかったことで2015年6月に解任される。2015年12月、モウリーニョ監督解任による後任として2015/16シーズン終了までチェルシーの暫定監督に就任。ヒディンク自身、2度目のチェルシー暫定政権となる。

1987/88 PSV(オランダ)
リーグ優勝 CC優勝
1988/89 PSV(オランダ)
リーグ優勝
1989/90 PSV(オランダ)
リーグ2位 CCベスト8
1990/91 フェネルバフチェ(トルコ)
リーグ5位
1991/92 バレンシア(スペイン)
リーグ4位
1992/93 バレンシア(スペイン)
リーグ4位
1993/94 バレンシア(スペイン)
リーグ7位
1994/95
1995/96 オランダ代表
ユーロベスト8
1996/97 オランダ代表
1997/98 オランダ代表
Wカップ4位
1998/99 レアルマドリード(スペイン)
途中解任
1999/00 レアルベティス(スペイン)
途中解任
2000/01 韓国代表
2001/02 韓国代表
Wカップベスト4
2002/03 PSV(オランダ)
リーグ優勝 CLグループリーグ
2003/04 PSV(オランダ)
リーグ2位 CLグループリーグ
2004/05 PSV(オランダ)
リーグ優勝 CLベスト4
2005/06 PSV(オランダ)
リーグ優勝 CLベスト16
オーストラリア代表
Wカップベスト16
2006/07 ロシア代表
2007/08 ロシア代表
ユーロベスト4
2008/09 ロシア代表
チェルシー(イングランド)
2009/10 ロシア代表
Wカップ予選敗退
2010/11 トルコ代表
2011/12 トルコ代表
ユーロ予選敗退
2012/13 アンジマハチカラ(トルコ)
リーグ3位
2013/14
2014/15 オランダ代表
途中解任
2015/16 チェルシー(イングランド)
リーグ10位 CLベスト16
2016/17

ヒディング語録

負けた後には二つの道がある。逃げるか、戦うか。
ユーロ2008でロシアチームを率いたが、初戦でスペインに大敗をした時、ヒディンクが選手たちに言った言葉。選手たちは戦うことを選び、ここからロシアの快進撃が始まった。
本当に久保の名前はないのか? なぜだ? 巻? 誰だそれは?
2006年のワールドカップに臨むオーストラリア代表監督時、ジーコジャパンから久保が落選したことに対して。
体には出来ることが沢山ある。メンタルがそれを妨げない限り。
当時、特殊学級の子供たちは社会に出て成功する可能性がほとんどないという絶望的な生を生きていた。私の使命は、そんな子供たちにひと筋の希望を与えることだった。
体育教師として特殊学級を担任していた頃を振り返って。

ヒディングについて

選手には見えていないものが、監督には見えているんだ。
2006年ワールドカップ、オーストラリア代表が3-1で日本代表を下した後、オーストラリア代表選手が言ったひとこと。
ロシアには私たちよりもオランダを良く知る監督がいた。
by メルヒオット(オランダ代表DF)
ユーロ2008でロシアに敗れる番狂わせの後で。

Be the first to comment

Leave a Reply

Your email address will not be published.


*