フィリップ・トルシエ

Philippe Troussier1955~

アフリカで名を挙げ、ベンゲルの推薦で日本代表の監督になったトルシエ。日本を日韓ワールドカップで決勝トーナメント進出に導いた監督として日本人には忘れられない人物だ。とにかくエキセントリックな性格で、コートジボワール、ナイジェリア代表監督時代は、成績がいいにもかかわらずその国のサッカー協会ともめ事を起こして解雇されている。評価の分かれる監督ではあるが、アフリカと日本代表で抜群の実績を残したことは間違いない。

代表的なフォーメーション

日本代表 2000年(アジアカップ)
トルシエジャパン フォーメーション アジアカップ

日本代表 2002年(Wカップ)

選手歴

フランスの2部リーグでDFとしてプレイしていたが、1983年に指導者ライセンスを取得。U-15フランス代表の監督に就任し指導者へと転じる。

監督歴

フランスの2部、3部のチームの監督を務めた後、コートジボアールのミモザアビジャン監督に就任。厳しい規律をクラブにもたらし、チームは不敗のまま3シーズン連続優勝。マスコミから「白い魔術師」と呼ばれた。1993年、コートジボワール代表監督に就任。チームはワールドカップ・アフリカ予選グループAの首位だったにも関わらず、その態度が問題視されてサッカー協会から解雇される(トルシエ退任後のコートジボワール代表はワールドカップ本大会出場を逃している)。1997年にもナイジェリア代表監督に就任し、ワールドカップ予選を突破し本大会出場を果たすが、サッカー協会と対立して解任。すぐにブルキナファソ代表監督に就任し、弱小国だった同チームをアフリカネイションズカップ4位に導く。翌1998年、ワールドカップフランス大会に出場が決定していた南アフリカ代表監督に就任、本大会では2分1敗でグループリーグ敗退。

フランスワールドカップ終了後、日本代表監督に就任。1999年、兼任するU-20日本代表でワールドユース準優勝。2000年のアジアカップでは圧倒的な強さで優勝し「アジアカップ史上最強のチーム」と言われた。2002年の日韓ワールドカップでも決勝トーナメント進出を果たす。日本代表を退任後はフランス代表の候補にもなったが落選。その後は目立った実績を残せていない。

1987/88 レッドスター93(フランス3部)
1988/89 レッドスター93(フランス3部)
2部昇格
1990 クレテイユ(フランス2部)
途中退任
ミモザアビジャン(コートジボアール)
リーグ優勝
1991 ミモザアビジャン(コートジボアール)
リーグ優勝
1992 ミモザアビジャン(コートジボアール)
リーグ優勝
1993 コートジボアール代表
途中解任
1994 カイザーチーフス(南アフリカ)
1995/96 CAラバト(モロッコ)
リーグ5位
1996/97 FUSラバト(モロッコ2部)
ナイジェリア代表
ワールドカップアフリカ予選突破
途中解任
1997/98 ブルキナファソ代表
南アフリカ代表
Wカップグループリーグ
1998/99 日本代表
1999/00 日本代表
アジアカップ優勝
2000/01 日本代表
2001/02 日本代表
Wカップベスト16
2002/03
2003/04 カタール代表
途中解任
2004/05 マルセイユ(フランス)
リーグ5位
2005/06 モロッコ代表
途中解任
2007
2008 FC琉球(日本3部)※総監督
2009 FC琉球(日本3部)※総監督
2010 FC琉球(日本3部)※総監督
2011 深?紅鑽(中国)
2部降格
2012 深?紅鑽(中国2部)
リーグ7位
2013 深?紅鑽(中国2部)
リーグ5位
2014 CSスファクシアン(チュニジア)
リーグ5位
2015 杭州緑城足球倶楽部(中国)
途中解任
2016

トルシエ語録

日本人がサッカー観戦後、ビールを飲みながら飲み屋でその試合を振り返るような雰囲気を作れたとき、初めてサッカーは国民の間に浸透したことになるだろう。
3人の個性派と8人の明神がいればチームはできる。
うまい選手を選ぶだけなら私でなくてもできる。ジャーナリストでも、ファンでも、街の誰かでもできる。
レギュラーは一人もいない。強いていえば、私だけだ。
中田(ヒデ)は携帯電話のCMに出てるけど、30回かけても全然つながらない。
おまえはパリの街をなめてるのか!
フランス遠征の時、ジャージ姿で外出しようとした中村俊輔を呼び止めて。
彼は1230年代に生まれて、ずっと冷凍保存されて、ある日突然見つけられた。だからまだ現代文明のコミュニケーションに慣れていない。
なかなか代表チームに打ち解けない久保竜彦について。
スター気取りになってはいけない。でないと、城や前園のように地獄に落ちることになる。
ナカムラがいるとベンチが暗くなるから。
2002年のワールドカップで日本代表メンバーから中村俊輔を外した理由を聞かれて。
足を手術しろ。
ボールコントロールに不安のあった中澤に対して。
(鈴木の)目を見て決めた。
コンフェデレーションズカップのカメルーン戦で鈴木隆行を初スタメンに抜擢した理由を聞かれて。鈴木はこの試合で2ゴールを決めた。
ここパラグアイは美人も多いので、柳沢を呼んでいたら大変なことになっていたと思う。呼ばなかったことは良かったかもしれない。
1999年にパラグアイで行われたコパアメリカ出場時に。
アギーレが信じるのはシステムでありメカニズムだ。そして日本サッカーが求める哲学は、ザッケローニよりアギーレに近い。
日本代表監督に就任したアギーレを評して。

トルシエについて

調理師免許を持ってるのに、皿洗いをさせられているようなもの。
by 中村俊輔。トルシエ元日本代表監督の左アウトサイド起用に反発して。

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